大正時代、都市部では多様な職業の人々が暮らしていました。商売人、工場労働者、公務員など、多岐にわたる職業に就いており、世帯あたりの平均収入は約100円でした。これを現在の価値に換算するとおよそ14万円程度です。米の価格は変動し、第一次世界大戦中やシベリア出兵時には米騒動が発生し、米の価格が高騰しました。
庶民の食事は、味噌汁、ご飯、目指しや納豆が基本でしたが、大正時代には漬け物やサバの味噌煮、コロッケなどが加わるようになりました。魚介類は重要なタンパク源であり、缶詰のような保存食も普及しました。都市部では食堂やレストランが登場し、庶民が外食を楽しむ機会も増えました。
地方では、米と麦を半々に混ぜた麦飯や芋、雑穀などが主食でした。魚介類の消費は都市部に比べて少なく、タンパク源は主に大豆や味噌で補われていました。地方によって消費する食材にばらつきがあり、香川県では麦が主食の半分以上を占めていたり、北海道ではじゃがいもが主食の2割を占めていました。
農村部では米の消費が減少し、雑穀や野菜が主な食材となりました。
これは米不足や人口増加によるもので、政府は農村部に対し、米の消費を控えるよう指導しました。輸入米も普及し、庶民の食卓に上がるようになりましたが、味や食感には違和感がありました。
西洋料理は庶民には手が届かない贅沢なものでした。フランス料理店や高級レストランは、政治家や実業家などの富裕層が利用する場所でした。1917年には「365日のお惣菜」という家庭向けのレシピ本が出版されましたが、これは裕福な家庭向けであり、庶民には手が届かないものでした。
肉食文化が浸透し始めたのは大正時代からで、政府の肉食推奨運動が影響しました。しかし、庶民には肉は依然として贅沢品であり、豚肉や鶏肉は高価でした。鶏肉は特に高価であり、各地で牛肉や豚肉よりも高い価格で取引されていました。
また、乳製品の普及も進み、牛乳が一般家庭に導入されるようになりました。牛乳は栄養価が高く、子供の成長や学業に良いとされ、政府も牛乳の安全性を強調し、正しい知識を普及させました。
明治以降、都市部ではガスが普及し始め、大正時代には家庭でも利用されるようになりました。ガスの普及により、調理が効率化され、新しい調理器具も登場しました。ガスを使った調理法が普及し、フライパンやシチュー鍋が一般家庭で使用されるようになりました。
大正時代は、日本の近代化が進み、都市部と地方の食生活に大きな格差がありました。しかし、庶民の食生活も次第に多様化し、外食や保存食の普及により、豊かな食文化が形成されていきました。現代の日本の食文化の多くは、この時代に基盤が築かれたと言っても過言ではありません。