大正時代(1912年~1926年)は、わずか14年間の短い期間でしたが、その間に日本は大きな変革を遂げました。西洋文化と日本の伝統文化が融合し、新しい時代の風が吹き込まれたこの時代。そんな大正時代の生活や文化を振り返り、その中で起こった様々な出来事を見ていきましょう。
大正時代は、西洋文化と日本の伝統文化が見事に融合した時代です。明治維新後の急速な近代化の波が続き、政治や社会構造が大きく変わりました。江戸時代の身分制度が廃止され、すべての民衆が平等に扱われるようになりました。しかし、依然として権力は天皇や政府に集中しており、その不満が普通選挙運動などの民主主義運動を引き起こしました。
現代でも一般的な働き方であるサラリーマン。このサラリーマンが広まったのは大正時代のことでした。第一次世界大戦をきっかけに技術革新が進み、日本は工業国家へと転換。大量生産・大量消費の時代が到来し、多くの労働力が必要となりました。その中で経営者と工場労働者の中間に位置するサラリーマンが登場し、大企業での雇用が増えました。
大正時代の大卒サラリーマンの初任給は50円から60円程度でした。当時の物価を見てみると、米1升が50銭、ビール1本が35銭、タクシーの市内均一料金が1円でした。中堅サラリーマンの生活は充実しており、夫一人の稼ぎで一家を養うことができるようになりました。これにより、専業主婦が増え、家族の形態にも変化が見られました。
江戸や明治時代には、複数世帯が一緒に暮らすのが一般的でしたが、大正時代に入ると都市部を中心に核家族が主流となりました。両親と子供だけで暮らす家庭が全体の50%を占めるようになりました。サラリーマン家庭が増え、農村部からの出稼ぎが進んだことも核家族化の進行に影響を与えました。
専業主婦が増えた一方で、女性の社会進出も活発になりました。
女性が積極的に社会で働くようになり、職業夫人と呼ばれるタイピストや電話交換手などが登場しました。特にタイピストは高いスキルが求められ、女性たちの憧れの職業となりました。
大正時代には、ファッションや娯楽も大きく変化しました。女性たちは自分の好きなスタイルを楽しむようになり、モダンガールと呼ばれる自由な女性像が広まりました。また、食文化も変わり、ライスカレー、コロッケ、とんかつなどの洋食が大衆に広まりました。
都市部が発展する一方で、農村部は困窮していました。物価の急上昇や競作により、多くの農家が出稼ぎに出ましたが、劣悪な労働環境や低賃金に苦しむことも多く、格差社会が広がっていきました。
大正時代には、新聞や雑誌、映画、ラジオなどのメディアが発展しました。
特にラジオは庶民に大きな驚きと恐怖をもたらしました。初めてのラジオ放送が行われたのは1925年のことです。
大正時代は短期間ながらも、日本社会が大きく変わった時代でした。政治や経済、文化において多くの変革が起こり、現代の日本社会の基礎が築かれました。過去の歴史を学ぶことで、現代の課題に対するヒントを得ることができるかもしれません。
引用元:https://youtu.be/gTct1uGnKDY?si=jc-jaW9ErbBeoYQb,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]